*ひまわりプロジェクト第2弾*

在日フィリピン女性のフローラさん家訪問

(参加したメンバー:ゆきよ、みほ、チョネ、角ちゃん、ゆうこ)

2003年1月11日―

 

 

今回はゆきよの友達、フィリピン女性のフローラさんに話を聞くことができた。ゆきよとフローラさんは「読み書き(識字教室)」で知り合い、それからゆきよが息子のキエル君のベビーシッターをするなどで、もう4年の付き合いになるそうだ。そんなフローラさんの日本に来てからの生活や、フィリピンの様子などの話を聞きたいと思い、メンバー5人がフローラさん宅を訪問した。

 

 

阪急宝塚線蛍池駅から徒歩15分程のマンションに住むフローラさん一家。みんなでお鍋を囲もうと、材料とお菓子を買い込んで家に向かった。家に入ると、きれいで明るいフローラさん、シャイだけどしっかりお兄ちゃんの大輔君、元気なキエル君が迎えてくれた。明るく清潔感のある部屋で、写真やお花などが飾っていて落ち着ける雰囲気があった。

フローラさんは「日本語はあまり上手ではないから、分かりにくいかも。」と言いながら、快く話をしてくれた。

 

 

フィリピンでは、何語を話していたの?大輔君とキエル君にもフィリピンの言葉を教えていくつもりでいますか?

−タガログ語と英語。学校でも、日本の国語のように両方の言語を使っていた。家では日本語を話しているけど、怒るときはタガログ語で。フィリピン人の友人とはタガログ語で話しているので、11歳の大輔君は理解しているけど、話すことはできない。でも英語は話せる。4歳のキエルくんは日本語のみ。あまり小さい頃から複数の言語を教えると混乱して上手く言葉で表現できなくなるから。でも、これから二人にタガログ語を教えていくつもり。

 

フローラさんとキエル君、大輔君

いつ頃日本に来たの?

1988年ごろ。22歳の時に、大阪で働くツテがあったから日本に来た。

 

どんな仕事をしていたの?

2年間ホステスをしていた。その頃のホステスは、カラオケをしたりお酒を飲みながら話をするだけで、危険な仕事ではなかった。今のホステスは危険。絶対やりたくない。ホステスをしていた頃、カラオケで日本語を覚えた。ホステスを辞め、大輔君の父親の転勤で、広島へ。大輔君を育てながらアルバイトをしていた。大輔君が2歳の時に大阪に戻り、紹介があったクリーニング屋で仕事を始めて今も続けている。6年前ぐらいから「読み書き(識字教室)」に通っている。

 

今のクリーニングの仕事はどうですか?

―ズボンやシャツにアイロンをかけている。冬はいいけど、仕事場が40〜50度ぐらいまで上がる夏は本当にしんどい。すごく大変でやめたいけど、他の仕事に移るのはもっと大変。子供がいるから余計に。今の会社は子供の用事で休んでも大丈夫だから、がんばって仕事を続けていくつもり。

 

外国人労働者に対する日本人の対応は?

―言葉が十分にできないので、アイロンがけのような作業しかできない。紹介やツテがないと仕事に就くのは、すごく厳しいと思う。

 

なんで日本に来ようと思ったの?

―フィリピンでは職がないから。家族がいるイギリスはその頃外国人労働者に対する取締りが厳しかったが、日本は割と簡単に入国できた。フィリピンにも近いし。日本だったら仕事をした分の給料がきちんともらえるし、お金の価値も高い。日本円で4万ぐらいあれば、フィリピンでは10人家族が1ヶ月生活できる。

 

日本で大変なことは?

VISAの更新。大輔君は日本国籍だが、フローラさんとキエル君はフィリピン国籍。3年に1回切り替えなければいけない。ややこしくてめんどくさいので、早く永住権を取りたい。

あと、大輔君の日本国籍をとるための裁判が大変だった。

 

裁判って?

―大輔君とのお父さんとは正式に結婚していなかったので、生まれた時国籍が問題になった。籍を入れずに、日本国籍をとるのはやはり大変で、3年もかかったが、なんとか勝って大輔君の日本国籍を取ることができた。日本人の友達がダガログ語の通訳をしてくれたり、いろいろと助けてくれた。でも本当に大変で、難しいことばかり。日本に来たばかりだったので難しい日本語ばかりで頭が痛かった。フローラさんが日本で初めて裁判を起こしたフィリピン人で、勝ったのでそれから法律が緩和されたそうだ。(あまり詳しいことは聞けなかったので、よくは分からないが。)

 

今の生活は?

―母子家庭なので生活保護を受けている。市によってシステムが違うが、病院代などは市が負担してくれるので健康保険には入っていないけど大丈夫。

 

キエル君のお父さん、アルトさんは?

―フィリピンの人はクリスチャンが多く、フローラさんもそのひとり。アルトさんとは日本の教会で出会った。ペンキ屋(塗装屋)で働いていたが、5年前ほぼ強制的にフィリピンに帰ってしまった。2年前に一度会いに行ったが、フローラさんの仕事、大輔君の学校もあり、飛行機代も高いのでなかなか会いにいけない。

 

フローラさんの家族構成は?

−お父さんはアメリカで仕事をしていて、お母さんは1991年に亡くなった。

 フローラさんは10人兄弟(女8人、男2人)の7番目。家族のほとんどが海外に住んでいる。

 (アメリカ、サウジアラビア、イギリスなど)家族がバラバラなので、なかなか会えずほとんど手紙のやりとりのみ。3年前にイギリス在住の家族に会うことができた。

 でも、兄弟が多いから子供の頃は大変。すごく大きな鍋で料理するのだが、ちょっとご飯の時間におくれたら自分の分はもうない、という感じだった。男の子でも家事を手伝うのは当たり前で、お父さんもご飯を作れる。

 

学校は?

6歳から小学校に6年間、高校に4年間通った。(中学校はない)高校入学の時は試験はないが、大学は受験がある。大学は2年間通って、Secretaryの勉強をした。社会とか暗記ものの教科が好き。数学は大の苦手だった。

 

フィリピンの教育事情はどうなっているの?

―ほとんどの人は高校まで行くことができるけど、大学にいける人はその半分。日本では小学校のほとんどが地域で決められているが、フィリピンでは自分で選べる。といっても、経済的な理由で選択肢は狭くなってしまうのだが。一般的に大学入試は難しい。頭のいい人は、学費の半分が免除されるというシステムがある。

 フィリピンは人数が多いので、クラスが午前と午後の二つに分けられてしまう。両親のいない子供やお金がなくて学校にいけない子もいて、街で新聞配達や掃除、お菓子を売るなどの仕事をしている。そういう子達は本当にかわいそう。でも最近は働く子ども達をサポートする施設やNGO団体が増えている。

 

フィリピンに帰りたいですか?

―夫がフィリピンにいるので、離れていて悲しいし、さみしい。でも生活のため、子どものため、日本では職があるので、離れていても我慢しなきゃしょうがない。フィリピンは多分更に苦しい状況になっていると思う。ほとんどの人が出稼ぎなどで海外へ行き、そのまま移住していく。フィリピンのお金の価値はすごく安くて、フィリピンで働いていても、生活するのが精一杯で欲しい物があっても買えない。他の国で働いてお金を稼いだ方が良い生活ができる。夫のいるフィリピンに帰りたい。でも、日本にも慣れてきて、楽しいこともだんだん増えてきた。日本の春が好き。フィリピンは夏しかなかったから。


皆で鍋を楽しみました

1時ごろから始めたのに、時計を見るといつの間にかもう5時に。お菓子をひたすらつまみながら、フローラさんとのお話はあっという間だった。最初は怖がっていたキエル君も慣れてきたのか、はしゃぎまわっていた。大輔君は最初から最後まで静かだったが、弟の面倒をみるしっかりしたお兄ちゃんという感じ。

 

お菓子でお腹が膨れてしまったので、しばらく休憩してお鍋の準備。野菜やお肉、ぎょうざもいれて、みんなで賑やかにお鍋を食べた。フィリピンにはない食事だけど、フローラさんも気に入ってくれて(前に1度したことがあるそうだが)、あまったダシとご飯で明日はおじやをするらしい。食後にワインを飲みながら少しおしゃべりをした。

フローラさんは仕事場まで毎日自転車で30分かけて通っていて、キエル君を保育所まで送り、9時から16時まで仕事して・・・本当に大変そう。でも同じ在日フィリピン人の友達、エミリさんとは郵便局で出会い(同じようにフィリピンに手紙を出す時で、フィリピンの話で盛り上がったそうだ)、一緒に読み書きの教室に通うなど仲の良い友達もたくさんいる。

 

夜の8時半頃まで約7時間もお邪魔をした上に、いろいろなお話を聞かせてくれて本当にありがとうございました。そして大輔君、キエル君もありがとう。今度行った時は、フローラさん特性のフィリピンのお菓子を作ってくれるそう。これからも繋がっていける友達が増えて、本当に今回の訪問は充実したものになって、嬉しかった。

 

                                                         (報告書担当:古坂 祐子)

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