大阪コリアンタウンと在日コリアンの人との懇談会

 

日時:1月6日

参加者:佐藤ゆきよ、角和美、森山和彦、康典絵

お話をしてくださった人:尊徳寺/住職、在日1世のおばあちゃん

 

私達はまず始めに、桃谷駅から商店街を通り抜け、御幸森商店街、通称朝鮮市場を訪れた。ここはかず多くの在日朝鮮/韓国の人たちが住む地域だ。現在在日コリアンの数は約50万人(2000年現在)。在日1世たちの高齢化に伴い、その数は年々減少しているのだそう。今の若い世代はすでに、3世、4世、5世にまでなってきている。特に最近多いのが日本への「帰化」。1952年から2000年までに、もうすでに24万人以上の朝鮮/韓国の人たちが日本籍を取得した。毎年1万人以上の在日の人が帰化をしている。

 

在日朝鮮/韓国の歴史(本文引用)

『在日朝鮮/韓国人の歴史は、1910年の朝鮮合併時までさかのぼる。戦前、戦中を通じ200万以上の朝鮮/韓国人が日本に移住ないし、強制連行され「国民」として暮らした。しかし、1945年に日本が終戦を迎えると、サンフランシスコ講和条約(1951)の締結で、日本に連行されてきた韓国/朝鮮人は日本国籍を喪失した。しかし、その後の朝鮮戦争勃発で、帰国後の生活に不安を感じた多くの人が国籍のないまま日本にとどまることを選んだ。1965年、日本と韓国は国交を正常化。これを機に半数以上の在日朝鮮/韓国人が韓国籍を取得したが、北朝鮮の体制を支持する人々は、日本と北朝鮮に国交がないため、現在は実質に無国籍状態のままだ』

 

現在は在日社会も多様化してきた。在日韓国青年会の組織部長を勤める在日3世のリ スーナムさんによれば、「いまや、在日とはなにか定義するのも難しいくらいです。在日韓国人といっても、両親や祖母は日本人でも、祖母が韓国人だから、という人もいるし、自分も両親も来日してまもないという人も増えています」。また若い世代の韓国/朝鮮への帰属意識の薄れや「制度的差別」の減少もともない、日本への帰化や若い世代のアイデンティティーの多様化が進んできている。

(以上、中央公論新社/変な国、困った国日本、ドキュメント外国人/2002

 

    インタビュー

今回大阪の鶴橋商店街の中にある、尊徳寺というところにうかがって、そこの住職さんと現在80歳近くになられる在日1世の方に色々は話を聞かせて頂いた。住職さんは自他ともに認めるほど親日家の人だ。急に伺ったのにも関わらず、色々と話を聞かせてもらった。

 

*いつ日本に来られたのですか?

尊徳寺・住職さん>15年前、日本に住む兄を頼って来た。それからはビザの関係で何度か韓国と日本を往復する生活を送っている。はじめは靴の製造会社で働きながら日本語を勉強してた。その後技術を得る事を学びたいと思い、整体の勉強を始めた。けれども人に勇気を与える仕事につきたいと思い、住職に弟子入りして現在にいたる。今は日本に住む在日コリアンたちが正しい法事や先祖供養の方法をしらないので、日本語と韓国語で広めている。

 

一世のおばあさん>小さいころから日本に住んでいた。日本の教育をずっと受けたので、反対に韓国の歴史、文化などをしらない。朝鮮人という事で偏見をもたれた事もあったが、戦争が起こるまでは平和な時代だった。戦争が終わって一度祖国(韓国)に帰ったけど、韓国が混乱していたのですぐに日本に戻ってきた。日本のほうが発達していてた。

 

日本に関してどう思いますか?

住職さん>私は日本に対して親しみを感じてる。自分の親戚が日本人の養子だった事もあったし、両親が昔から日本と韓国を行き来していたから。あと、日本が韓国を植民地にしたという人が多いが、私はあれは合理的な合併だったと思う。その当時は韓国は文明的に遅れていたので日本が韓国を発達させた側面もある。

 

昔の様子(1990年代前半)の日本と朝鮮の様子はどうでしたか?

住職さん>日本と韓国間に船が往来していて、韓国から日本に来る人が多かった。その頃韓国はとても貧しかったので、日本に出稼ぎに行く人が多かった。けれども、1930年代(年代は確かではない)頃に外国人登録書(?)みたいなものが出来、簡単に日本に来る事が出来なかったので、その頃から密航で日本に来る人も多かった。

韓国の様子

お二人>韓国では全て日本の教育を受け、日本語を使うことも義務つけられ    た。いつ頃か朝鮮名ではなく、日本名をつうよう指示された。日本的な名前であればみなどんな名前でも良かった。

 

現在の日本の在日コリアンに対する政策にたいしてどう思いますか?

日本には3種類の永住項目(?!)があるけど、その中でも在日は歴史的経緯により、特別永住という権利を受ける事が出来る。これにより、在日の社会的地位はかなり安定した。それ以外の不便などはあるけど、日本に住んでいる以上日本のルールがある。

 

これからの日本に対して、日韓の関係に関してどうなって欲しいと思いますか??

住職さん>日本と韓国の関係は兄弟関係のようなもの。兄弟喧嘩みたいな   事もあったが、仲良くなれるはず。韓国と日本はルーツがつながっているのだから。日本は今もアジアの国に叩かれる事が多いが、もっと堂々としたらいいと思う。ただ、事実を隠そうとするから、よくないだけ。

 

二人からのメッセージ、そして問題提起

住職さん>私は日本を悪く思っていないが、ただ戦後補償に関しては最後まできちんとするべき。国と国では解決したかもしれないが、個人レベルでは補償がされていない。

1世のおばあさん>私の父は戦争中日本の軍隊として戦死したが、日本人に対しては戦後補償があったのにも関わらず、中国、朝鮮人はその補償を受ける事ができなかった。靖国神社には戦争中に亡くなった人の慰霊があるが、父は朝鮮人だったという事でその中に含まれていない。同じように戦争に戦ったのに。

住職さん>今の若い人たちが、戦後補償に関してもっときちんと考えて欲しい。まだ、この問題は解決してない。

 

・・・インタビューのままではなく、要約している部分があります。あと、年代やいい回し(韓国、朝鮮)などは文面にそって合わせています。

 

感想:今回のインタビューは本当に貴重な体験だった。日本と朝鮮の歴史に関しては今だ多くの議論がなされており、いまだに解決されていない問題もいっぱいだと思う。だからこそ、今回の話をこれで終わるのではなく、これからも1世の方々や、いろんな人から話しを聞いていこうと思う。これからの為に昔の事を知る必要があると思った。

 

(報告・康典絵)

 

 

 

 

 

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